2015年07月31日

人生

人生

歩いて来た自分の人生。

これからも歩くだろう人生の道。

自分にとって必要な艱難辛苦が待ち受けている人生の道。

逃げれば自分の成長は止まる 。

天が与えてくれた心の栄養になる試練。

試練を熟し、振り返れば良かったと思うことが多いはず。

その時は辛いかもしれない。

でも、乗り越えた自分は素晴らしい。

自分ばかりが辛いわけではない。

自分自身に合った試練が来るだけ。

心を大きく持ち、逃げることのない強い心を持てば、

更に自分の未来は「心が軽くなる」が待っている。

乗り越えられる自分に合った艱難辛苦。

それは自分自身への天恵です。
posted by 純庵 at 07:11| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月30日

憎む 

憎む

人から嫌なことをされたら、相手を憎むことがある。

人間であるが故に当然のこと。

当たり前の感情であるので、それに対しての善悪はない。

ただ、この時点から人間の徳性が観える。

憎まれたら憎み返す人間。

その人物の悪口を言い触らす人間。

反対に、憎まれる原因を探し、自分自身が反省する人間。

憎む心が湧いた原因を見出し、相手を慈しむ人間。

高徳な人間は憎しみから「心の栄養」を摂ることが出来る。

出来るわけがないだろうとあきらめる人間。

少しでも近づこうとする人間。

憎みの感情が生まれた時点から、人間性が大きく変わる。

高徳な人間だから金銭的に裕福とは限らないが、

心に余裕があれば、不安になる原因は少ない。
posted by 純庵 at 06:33| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月29日

夕焼け 

夕焼け 

太陽が沈んでも、その光が輝く夕焼けは綺麗。

夕焼けを見ながら、自分や他の人間を思う。

例え、その人間が消えても夕焼けの如く、心を和ませる。

夕焼けのように綺麗な人間は素晴らしい。

朝焼けも然り。

現れる前から綺麗に空を染める人間。

天地自然の万法は多くの教訓を人間に与える。

そこから学び取る人間、何も感じない人間。

人間の性格にも多々あるが、自然界から多くの事を学べる人間は、

心豊かで、感受性も高く、人生も楽しいだろう。

しばし、立ち止まって自然を眺めるも良い。

都会で自然が少なくとも、空だけはいつも自然界そのもの。

空を見上げて、雲を眺め、風を感じ、自分も観てみよう。

posted by 純庵 at 04:04| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月28日

心 



争いも心から生まれ、平和も心から生まれる。

争いや和み、人の心から生まれた感情が連鎖によって広がり、

人間同士の醜い戦争や平和を生む。

天地自然の万法は決して争うことをさせない。

調和や共生を求め、知恵と進化を与える。

悲しいかな人間は天地自然の万法に逆らい、

殺し合い、奪い合いなどを繰り返し、多くの人々を不幸へと招く。

戦争は誰が始め、誰が賛同して、不幸の扉を開くのか。

どうして殺戮の武器を作るのか。

平和を論じ、それを目指す政治家を望むのが当然のこと。

軍事がなぜ優先、防衛費も優先になるのか。

すべては人の心から始まる。

21世紀は世界平和の時代を目指すことを最優先にすべき。

その為には全世界で「心の仁徳教育」が必要である。
posted by 純庵 at 06:28| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月27日

怒る

怒る

怒る前に怒る自分を観る。

怒るのは人間として当たり前の感情であり、

なかなか止め難いもの。

しかし、修徳によって「怒る前に怒る自分を観る力」がつけば、

無駄な「怒り」をせずとも良くなる。

怒りは自分や相手にとって快いものではない。

出来れば控えたい気持ちはあるはず。

その時にしばしの間を置き、怒る自分を観る。

怒るのは何故か、その必要性とは、

どのようにすれば相手に伝わるのか。 

感情を抑えるとは「間と自分を観る力」、

そして仁徳の基本である「恕」の心。

恕 じょ(己が欲せざるところを人に施すなかれ)は、まさに仁徳の心。

この恕が人間関係を円滑にする。
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2015年07月26日

頭の中 

頭の中

いつも頭の中は何を考えていますか。

その頭の中で考えることが心で思うことと同じ。

頭の中にある脳が心でもある。

しかし、太古の世界で脳の存在は明らかではなかった。

形のない「思う」ことは身体の「心」で思うことになり、

心がありて身体あり、身体ありて心ありと云われ、

併せて「心身」となった。

いつも心で思うことが自分を創って来た。

喜怒哀楽も心で感じ、他人と違う感情を持つようになる。

自分で創る幸不幸、成功失敗など、他人の影響もあるだろうが、

最後は自分自身が判断し、言動に移している。

不幸や失敗を人に求めるのではなく、

自分自身の心を省みる必要がある。

明日の幸不幸や成功失敗は過去と今の心が創る。
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2015年07月25日

生きる

生きる

如何なる人もそれなりに生きている。

生きていることは素晴らしく、決して比較し評価するものではない。

年齢や男女、身分や収入に差があろうとも、

それぞれの力で生き、多くの辛苦を乗り越えている。

すれ違う多くの人々、知り合った人々、過去の思い出になった人、

生き、活かされ、活かし合いながら、生き続けている。

生きるとは何と素晴らしいことであろうか。

しかし、心身に病のある人はそうと思わないかもしれない。

特に心の病に罹った人は「自分の悲運」に嘆く。

その心境はその人物しかわからないので批判は出来ないが、

その心境を創って来たのは、自分の心である。

また、それを治すのも自分自身の心。

人に求めない生き方は、自分の心を強くしてくれる。

posted by 純庵 at 06:35| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月24日

道 



自分が人生で「為すべきことを成す」が見つかれば、

そこに自分が歩むべき道が拓ける。

生涯終点のない道かもしれない、

多くの艱難辛苦が待っているかもしれない。

道の向こうには良い兆しがあるかもしれない。

でも、その兆しを自ら見放す、これを「逃げ」と云う。

逃げることなく、その道に精進する心が、

自分自身の豊かな明日を創る。

道のない未来の荒野は迷うばかり。

歩むべき道を創ったから安心ではない。

しかし、道なき明日に生きるより、

道ある明日という未来の方が迷うことは少ないはず。

道は偶然に見つかることもあれば、自ら探す場合もある。

それも自分の心によって自分に相応しい道が現れる。
posted by 純庵 at 07:03| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月23日

威張る

威張る

威張るは「威」を張ること。

威張るの「威」は人を脅威などの脅かす意味。

威張る人間は元々弱い為、少しでも強く見せ、相手を脅かす。

根本的に強いわけではないので「威」を張らなければならない。

張ったものはやがて剥がれる。

強い風が吹けば剥がれ、時が経てば剥がれ落ち、

また他人によっても剥がれる定め。

威張る人間はただの「張物」。

自分を強く大きく見せようとする劣等感。

そのようなことをしなくとも「自分は自分」「人は人」

自分が持っている「心の質量」はごまかしや増量は出来ない。

無駄な虚心と云えよう。

それより常日頃「仁徳」を修め、心の優しく強い人間を目指し、

気が楽な人生を歩みたいものである。
posted by 純庵 at 05:01| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月22日

差別 

差別

人間の心に仁徳が欠けると、他人や民族を差別し始める。

人種差別が多い国はまさに仁徳少なき国家であろう。

それは青少年期に差別をしてはいけない仁の心を教えていない、

恕 じょ(己が欲せざるところを人に施すなかれ)の心を教えていない、

環境に問題があるのかもしれない。

仁徳高き人間や人種は決して他人や他民族を差別することはない。

高等教育を受け、宗教心が崇高でも、他人や他民族を差別しては、

教育や宗教の高低など意味がない。

如何なる人種を差別することのない仁徳が世界の平和を創る。

差別は自分の、自国の劣等感を表すようなもの。

優れている人間、民族ならば、決して差別することはない。

すべての人々は同じ命を持った人間である。

恕の心を忘れずに、互いを慈しむ心「仁徳」を高めよう。

まずは自分自身の心から始めてみませんか。
posted by 純庵 at 06:40| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする