2015年08月31日

心構え 

心構え

日頃の心構えが自分の過去を創り、現在と未来も創る。

心構えは運動時の準備体操と同じで、

準備体操をしていれば急な運動にも耐えられる。

人生には多くの艱難辛苦が訪れる。

その艱難辛苦に耐える「心の力」を付ける為にも、

日頃の心構えが大事である。

心の準備体操をしていれば、多少の艱難辛苦に耐えられる。

しかし、日頃の心構えを疎かにすれば、

いざ艱難辛苦が来た時、心が弱ければ辛苦をまともに受ける。

何事も先を観る力は必要、艱難辛苦が来ない人生などはない。

準備運動もしない、普段運動もしない人間が競走や競泳など、

体力的にも出来るわけがない。

人生も運動も同じ、得意不得意もあるだろうが、自分に合った準備や

心構えは必要である。

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2015年08月30日

綺麗事

綺麗事  

為すべきことを成さないのは仁徳に反する。

世の中で「綺麗事では済まない」とよく云われている。

特に商いの道は「綺麗事では通らない」と云う。

しかし、綺麗事で通らないことが「汚濁事」ならさらに通らない。

汚れ濁った水を商いの仲間やお客様に出すことが平気なら、

その時点では良いが、後程相手や自分が苦しむことになる。

綺麗事などと容易に批判するよりも、

綺麗な商いを目指し、その中から利益を得ることが本当の商人。

一過性の「悪徳商法」なら汚濁水でも良いが、

長い年月商いを考えるならば、「善徳」を心掛けなければならない。

人は決して自ら「汚濁水」を飲もうとはしない。

相手を騙したり、裏切ったり、暴利を貪ったり、同業を批判する、

その不徳が不信と不義を生む。

何事も人に差し上げるものは「綺麗」でなければならない。

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2015年08月29日

心の友

親しい友は何人おりますか。

一生付き合える友はおりますか。

友達も年齢や環境によって異なってくるでしょう。

しかし、物心付いてからの友は、

誰にでもおります。

仲良くなったり、喧嘩したり、励ましたり、

悩ましたりする友が、いつも一緒にいる友。

それがもう一人のあなた自身です。

周囲に親しい友達がいなくとも、

いつでも声を掛けられ、会話が出来る心の友。

しかし、意見が合ったり合わなかったりと、

必ずしも親しいとは限りません。

それでも死ぬまで付き合う心に居る友。

自分の人生はこの友と二人で創っているのです。

これからも多くの意見を述べ合うでしょう。

その対話に仁徳の議題が入れば、

心の友共成長することが出来ます。

これを読みながらでも話している心の友。

善悪の善を育て、悪を摘み取る修徳の対話を、

心掛けて、これからの良き人生を創りましょう。

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2015年08月28日

知る

知る

知っていること、知らないことは人間として当たり前。

学んでいないこと、調べていないこと、それも当たり前。

知らないことは知らない、

学んでいないことは言えない。

これは当たり前のことなので、決して恥ではない。

そのことで自分が不利になっても仕方がない。

知った振りや嘘を言うより、知らないと言えば良い。

もし、批判を受けても気にすることはない。

何事も「一」から始まり、徐々に進めば良い。

自分自身で「知る必要」「学ぶ必要」があると思えば、

出来る限りその時間を取り、自分の知識にすれば良い。

必要性を感じながら動かず不知のままは恥になる。

知らないことは知らない、でも学知の必要があれば、

心身を以って修学しなければならない。

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2015年08月27日

人を観る 

人を観る

人の外見を観る。

人の心を観る。

人の心を観るにはその人物の言動を観れば良い。

特に「信」を観るのは、その人物が「為すべきことを成す」を、

怠ることなく果たしているかである。

特に約束事は重要な人徳になる。

約束を守らずして何を言おうが「信」という仁徳は得られない。

商いや借金は特に人間性が出易い。

返すべきものを返さず平気でいる人間。

取引を守るべきことを守らないで平気でいる人間。

その時は上手く逃げているつもりでも、

その「不信」は未来に残り、大抵は人生や事業は失敗する。

成功の要因には「信」「義」「礼」があり、

それは「仁」と「徳」の上に成り立っている。

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2015年08月26日

人生の味

人生の味

事業や仕事を成功させようとすれば、

自分の思い通りには行かない。

それは当然のこと。

田畑に植えた苗や種がすぐに育つわけがない。

収穫するまで努力と忍耐を要する。

事前や途中で「そんなに甘くはないぞ」と云われることが多い。

確かに時間と力を要するが、

でも、「世の中、そんなに甘くはない」を聞いて落胆することはない、

なぜなら「世の中、そんなに辛くはない」からである。

人間、陰陽の世界で生きている。

「甘さ半分、辛さ半分」何事も半々である。

落胆の気持ちを回復する妙言は、

「人生、甘くはない。されど辛くもない」これをつぶやき、

心の病である「失意」に罹らないこと。

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2015年08月25日

実相と虚相 

実相と虚相

人生の中で心に思い、言動に移したことは、

善悪に関係なく実相となる。

しかし、心で思い、言動に移さないことは虚相になる。

言動とは自分の心身が動き、形にしていくものである。

相とは「すがた」を意味し、実相とは「すがたになった」こと。

虚とは「なにもない」ことであって、「すがたになっていない」こと。

人生の中で多々ある実相と虚相。

初めは虚相かもしれないが、言動によって、無が実になる。

人間の心は無形であるが、実際に形を創り「すがた」を形成する。

自分の人生は自分の心が幸不幸や成功失敗などを創って来た。

人生、天変地異や病は別にして、自分自身で創る方が多い。

言動に移せる人間は実相を創り、移さない人間はいつまでも虚相。

人生の結果は心の種が実ったもの。

決してその原因を「ひとに求めない」こと。

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2015年08月24日

太極

太極

人生には多くの陰陽がある。

太極の陰陽は常に半々。

成功もあれば、失敗もあり、幸福もあれば、不幸もある。

また太極は天地自然の万法に則り、常に循環する。

循環とはまさに円相であり、何度も巡って来る。

過ぎ去ってはまた訪れる、その繰り返し。

その都度、一喜一憂しても、その事象はすぐに去って行く。

喜びや悲しみ、楽しみや苦しみに執着しても、

時は容赦なく過ぎ去り、次の人生試練や喜楽を運んで来る。

人間、一喜一憂するのは当たり前で、それに良し悪しはない。

ただ消える時の泡を手にしてもやがては消え、何も残らない。

一喜一憂にしがみつくことなく、慌てることなく、

天地自然の万法に従えば、次の人生舞台が廻って来る。

ただし、これまでに創った心が次の舞台を用意している。

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2015年08月23日

人生の功績

人生の功績

人生、生きている間に多くの種を蒔いている。

善もあれば悪の種もある。

それぞれの種を人生の田畑に蒔き、人生を過ごし、全うする。

その田畑は残れた者が引き継ぎ、

それらを収穫することになる。

これは別に財産ばかりではなく、人生の考え方や生き方にも、

影響し、次の者が受け取ることになる。

故事に積善余慶という言葉がある。

「積善の家には必ず余慶あり」と云って、善いことを積んだ家には、

その子孫は豊かな心で暮らせるようになる。

自分自身、何をしようが自由。

しかし、それはやがて自分の子孫へと伝わることを教えたもの。

善悪の自由は自分一人だけではなく、

次の物へと伝わる責任を伴う自由であることを心するのが肝要。

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2015年08月22日



空を見上げれば、晴天、曇天、雨天とある。

いずれも二度と同じ空はない。

空自体も本来は無形で形を成すものではない。

空の向こうには無限なる宇宙がつながっている。

日々、私たちは空の下に住み、

大いなる天の恵みを受け、生かせていただいている。

無形の恵みが有形の人間を守り育てる。

人生の流れに同じものはなく、日々移ろいゆく。

空も心も同じで日々移ろいゆき、自分自身を創っている。

しかし、心に起きる無形の喜怒哀楽は、心を迷わせ、

心を縛り付ける。

消えるものに執着し、自分の不安を創り、自分自身を傷付ける。

人間だから仕方のないことだが、その執着から逃れる為にも、

時折空を眺め、「無常観」を考えてみよう。

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posted by 純庵 at 06:12| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする