2015年10月31日

形  

それぞれの形にはそれなりの用途がある。

湯呑は茶や白湯を飲む為に形を成す。

皿は料理を盛る為に形を成す。

皿では茶や白湯は飲み難い。

湯呑に料理は盛り難い。

それぞれの役目があり、他に使えないからと文句は言えない。

人間にもそれぞれの性格や才能がある。

事務が得意な人間、営業が得意な人間、

働き好き、怠け癖、それぞれに癖や習性がある。

誰がどこに向くのかは、他人が観て判断する場合もあるが、

自分自身でもわかるはず。

向き不向きを観て、人を判断すること。

「それぞれ」の持つ資質を観ずして、批判は禁物。

まずは自分自身に「それぞれ」の目を持つこと。

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2015年10月30日

大同

大同  

天の下に生きるすべての生命は、

皆同じ身内であること、それが大同。

他人と思うのか、身内や家族と思うのかは、

人間の心で、自分の心で判断すること。

世の中が平和である為には、

この大同という仁徳が必要。

民族、宗教、国家、身分などと区別があるのも人間界。

しかし、天地自然の万法から観れば、

同じ生命を持つ人間。

仁徳の最終峰はこの「大同」であろう。

まさに人類の理想であり、一人一人の心に大同があれば、

どれだけ素晴らしい世の中が創られるであろうか。

それは政治でもなく、宗教でもなく、

誰しも持つ「心の仁徳」から創られる。
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2015年10月29日

誠実

誠実  

言葉が誠実であっても、まだ誠が実ったわけではない。

言葉はまだ樹木の「葉」であり、実にはなっていない。

誠実は、まず心から始まり、心にある「誠」の種が心の地に蒔かれ、

やがて成長して実になる。

誠実は実を結ぶ「結果」であって、過程ではない。

誠実とは言葉が実に成ること。

「初めに言葉ありき」だが、あとは自分の心を耕し、

栄養を与え、雑草を除き、花を咲かせ、実を結ばせる。

言葉の誠実さは心構え。

その人物の誠実は言動の結果。

人間の言動はまさに植物の生態系。

突然、花も咲かないし、実も結ばない。

桜は桜、菊は菊、梅は梅なのである。

自分の心にある「誠」はいつ実になるだろうか。

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2015年10月28日

工夫

工夫  

物が壊れても工夫でまだ使える。

使い捨ての時代になり、工夫をすることがなくなった。

工夫は節約の知恵を生み、資源の保護になる。

節約をする為には工夫の知恵が必要。

知恵は人生を豊かにし、人間関係も円滑にする。

すぐに捨てる習性は、人間関係にも悪影響を及ぼす。

今ある物をより長期に使う為にはどうすれば良いのか。

心から工夫が始まる。

捨てて新しいものを買えば、その工夫は生まれない。

必要以外の物は金銭を使い、工夫や知恵も生まない。

特に家庭教育では必要。

新しい物を買え与える前に、長期に使う方法を考えさせる。

工夫と知恵は人生の術にもつながる大事な徳心。

まず、すぐに捨てず、考えることを与えよう。

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2015年10月27日

完璧

完璧  

完璧な人間は稀である。

ほとんどの人間はどこかに落ち度はある。

完璧を目指しても結果は完璧に到達しない。

そこで気落ちするのではなく、

その手前も良いと思う心が気持ちを楽にする。

ただし、医学や技術に関してそれは当てはまらない。

完璧の道は長く、途中は自分自身との闘いとなる。

何度も何度も目指してやり遂げる。

最も必要な心は「やり続ける」「やり遂げる」こと。

完璧を創る心はこの二つが基本。

目指す道は長く厳しい。

技術や方法よりも最後は「自分のあきらめに勝つ」こと。

大きく厚い壁ほど時間を要する。

まずは自分が出来る範囲の完璧を目指そう。

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2015年10月26日

言葉

言葉 

人を見下した言葉は心を表す。

人間関係でも大事な「謙」「敬」の心。

この心が欠けると言葉が荒くなる。

目上や地位などに気を使うことなく、

徳なき言葉を発すると、言った人間が観られる。

特に「人を見下した言葉」は仁徳に欠ける。

自分の心に自信がない、他人の事が気になるなど、

心の弱さが劣等感になって、言葉で相手を抑えようとする。

見下すことは、その人よりも自分は低い位置にいる。

それを自分自身で認めたくない心の弱さが、

言動となって現れる。

人を見下しても、自分が偉くなるわけではなく、

自分の不徳を曝け出すようなもの。

言葉は常に「謙」「敬」の心を以って使いたいものである。

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2015年10月25日

都合

都合 

自分の都合で人を判断するのは仁徳に欠ける。

例え、自分が気に入らない人間でも良いところを認め、

自分が気に入った人間でも悪いところは戒める。

自分の好き嫌いがはっきりし、言動に出す人間は、

特に善悪の判断を誤ることが多い。

もし、これが反対の立場に置かれたら自分自身がどう思うか。

まさに恕の心である。

恕 じょ(己が欲せざるところ 人に施すなかれ)の心は、

自分がされて嫌なことは人にしてはいけないこと。

自分の良いところを好き嫌いで認められることもなく、

社会的、人間的に無視されたら良い気分ではないはず。

人を観る場合は自分の好き嫌いを超えた仁徳の心、

正しい判断が出来る人間でありたいものである。

この言動を難しいと思う心が、心の成長を妨げる。

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2015年10月24日

煮える

煮える  

人生、誰しも他人に対して腹が立ち煮えくり返る時もある。

自分に対して悪口や批判などを聞こえてくれば、

腹も立ち、煮えくり返るだろう。

心の鍋が小さいと煮えくり返ったものが飛び出る。

心の鍋が大きいと煮えくり返っても飛び出ない。

腹が立っても心の鍋で表情に出るか否か。

すぐ顔に出る人間は心の鍋が小さい。

腹が立ち、煮えくり返っても表情が変わらない人間は、

心の鍋は大きくたっぷりしている。

心の器や鍋は、自分の心が創り、年月によって大小が異なる。

腹が立って機嫌の悪い人間と接したら、

心の鍋が小さい人間と思い、慈しむ心が仁徳。

同じように腹を立ててはいけない。

決して心の鍋や器を小さくすることのないように。

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2015年10月23日

知識と金銭 

知識と金銭  

人生で得た知識は元々自分自身にあったものではなく、

人や経験、書物などによって得たものが多い。

自分で得た知識かもしれないが、

それを多くの人たちへ与えることによって、

自分自身の仁徳が高まり、

より知識を得る力が湧く。

人生で得た金銭は元々自分自身にあったものではなく、

人や経験、勤労などによって得たものが多い。

自分で得た金銭かもしれないが、

それを多くの人たちへ与えることによって、

自分自身の仁徳が高まり、

より金銭を得る力が湧く。

何事も得たものを人に差し上げることで、

より多くの事が自分に与えられる仁徳の法則がある。

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2015年10月22日

言葉

言葉  

人を騙すには心に騙す悪意がなければ言葉は生まれない。

人を僻むには心に僻む悪意がなければ言葉は生まれない。

人を讃えるには心に讃える善意がなければ言葉は生まれない。

心にないものは言葉として生まれては来ない。

悪意の言葉、心の中に悪意があり、それが言葉になるだけ。

それらの悪意は元々あったものではなく、

自分の心が創ったものである。

人間、誰しも悪意は生じ易い。

しかし、それらを消すのは心に修めた仁徳である。

修徳とは心に生じる悪意を消す妙薬。

良き故事を学び、良き言葉を聞き、良き書を読むこと。

常に自分自身を修める力は心を豊かにする。

人生を気楽に生きる方法でもある。

修徳を難しく考えず、自身の為に行う心の運動と思えば良い。

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posted by 純庵 at 06:23| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする