2016年05月21日

成功 

成功  

成功の必至条件として、

金銭と時間の管理は最も大事。

特に他人へ対しての金銭や時間の約束は、

仁と義と信の心を表す。

相手に迷惑を掛けて平気な人間は「仁と義」に欠ける。

当然、その後の信にも影響し、信の力を弱める。

特に遅れる場合連絡をしない人間は、

この後に起きる成功条件である五徳に欠ける為、

周囲の人が放れてしまう。

五徳とは「仁・義・礼・智・信」である。

俄に成功してもこの五徳が欠けると、

短き草花のように枯れてしまう。

五徳こそが成功の根幹であり、

人生の大地を力強く生きる修徳である。

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posted by 純庵 at 04:46| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月20日

心の苦しみ 

心の苦しみ 

心の苦しみは生きている証。

それに耐えながら活かされ生きている。

周囲に起きた苦しみの原因は、

起きた以上取り除くのは不可能。

過去の事象は心で受け止めるしかない。

その受け止め方が人によって大きく異なる。

苦しく辛いと思い、それに囚われ、

ますます自分を苦しめる人。

その苦しみを心の栄養として、敢えて試練と思い、

仁徳を積む人。

同じ人間でありながら、心の持ち方が異なる。

生きている以上、人生の辛苦から逃れることは出来ないが、

その辛苦に執着するか否かは、自分の心次第である。

苦とは「草冠の草に古くなること」、新鮮な内に栄養としよう。

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2016年05月19日

迷い 

迷い  

人間、生きていれば多くのことに悩む。

悩みや迷いは当たり前のこと。

迷いは前に歩むから迷うのであって、

立ち止まっていれば迷う心配はない。

自分自身が人生を楽しく豊かに歩もうとすれば、

当然、歩く先に迷いは生じる。

その時、心の地図があれば、迷いは少なく済む。

もしくは迷った時点で冷静に心の地図を観てから、

歩む方が良い。

心の地図とは普段の「学び」である。

人の話を素直に聴くことや、

先人たちの書籍を大いに読み学び、

普段の辛苦に対する「心の力」をつけること。

日々の修学修徳が迷いを軽くする。

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2016年05月18日

仁徳に欠ける

仁徳に欠ける 

仁徳に欠けると他人に迷惑を掛け、

意地悪や悪口、妬み、僻みに因る誹謗中傷を起こす。

そのように人や社会に迷惑を掛ける人間は、

その人物自身が悪いのではなく、

仁徳を修める環境や躾が足りなかったのである。

しかも、環境や躾でもそれを教える人材すら欠けている。

人間は元々「善き心」をもっている。

如何に新しい鏡であろうと、

そのままでは鏡の表面に埃は溜まる。

定期的に拭かなければ面は更に汚れる。

修徳とは鏡を拭くのと同じ。

しかも拭くのは自分の手と布。

布が汚れていれば綺麗にはならない。

布が仁徳の教え、常に心を清らかにする。

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2016年05月17日

程々 

程々 

程々の「ほど」は許される範囲や距離、

またはちょうど良い間合いを意味する。

程々とは「適度の間合い」を取ること。

行き過ぎも、足りな過ぎも良くない。

何事も過ぎないその中間が良い。

自分自身の言動を省みて、その間合いを計ってみる。

どちらかに傾き、過ぎていないかを観る力は、

自分を含め人間関係に摩擦を生じ難い。

心の平均こそが徳の基本「中庸」である。

細い平均台を渡るには手を横に広げた方が歩き易い。

人生は常に細い平均台のようなもの。

常に心の平均を取り、人生を不安なく歩きたい。

如何なる挑戦をしても良いが、

何事も程々の言動をしつつ、道に逸れない自分を創ろう。

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2016年05月16日

迷いの種 

迷いの種  

迷いは頭で考え始めると、迷いは育つ。

迷いという心の樹木はやがて枯れるようになっている。

しかし、悩みを思い続け育てると更に大きく成り、

心の中で繁殖し始める。

心の中で育つ迷いは永久に育つわけではない。

考えることによって育つ。

他人の悩みや迷いは自分の心では育たない。

心に植えられるのは生きていれば仕方ないこと。

生きる間に迷いや悩みの種は尽きない。

だが、それを幾つ植えるかは、自分自身の心次第である。

いつの間にか悩みや迷いの種を持ち始める。

その時にこそ、「心を観る」「心を書く」などの修徳が必要。

急に草花や樹木は育たない。

気が付かない内に自分の心に出来る「種」にご注意あれ。

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2016年05月15日

叱る 

叱る  

人は間違い起こす。

如何なる人間は多少の間違いや失敗などはある。

それを叱ることも大事。

間違いを気付かせる、失敗を改善させることは大事。

叱らないのも良くないが、叱り過ぎも良くない。

この加減は難しい。

その為に「叱る」「諭す」の双方をまず書いてみる。

心学の実践である「心を書く」である。

大事なのは叱った後の「諭す」こと。

間違いや失敗は過去の事。

そこまでの過程とこれからの道程を如何に教えるか。

このことは叱られる相手よりも、

自分自身が修める「自分の心を育てる」好機になる。

叱るのも、叱られるのもすべては心の栄養である。

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2016年05月14日

本来の仁徳 

本来の仁徳 

人間、生まれた時は恨みや妬みなど悪意の感情を持たない。

しかし、育った家庭や環境の影響で、

善意、悪意の感情を持ち始める。

幼児や青少年の躾や教育が人生の未来を創る。

人間、幼児の心を持っていれば敢えて躾などは要らないが、

人間生きることによって多くの経験をして、

その中に喜怒哀楽もあり、人生の辛苦もある。

人生の道を踏み外さない為にも、仁徳教育が必要。

本来なら不要な仁徳教育だろうが、

人間はすべて聖人や賢人ではない。

生きている間、心に汚れや埃が付くだろう。

それを綺麗にしてくれるのは「心学」である。

心学の基本である「徳・仁・義・礼・智・信」の心。

そして、自らの苦しみを創る「執着」から離れることである。

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posted by 純庵 at 06:24| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月13日

持ち物 

持ち物  

手に持つ物、心に持つ物、

それぞれ重いよりは軽い方が良い。

しかし、人間の欲は止まることがなく、

持てば持つほど重くなり、

最後は身動き出来ないくらいになる。

重き荷物は捨てるしかない。

ただ人間、強欲なほど容易に捨てられるものではない。

止めることのない強欲と重き荷物を背負い、

ひたすら人生の道を歩く。

それが好きな人間もいるだろう。

しかし、それが人生の坂道になると、

重き荷物はより重さを感じる。

無くとも良いような欲を見極め、

捨て切る心の勇気を持とう。

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2016年05月12日

不平不満 

不平不満  

不平不満は自分自身の心次第。

欲が強く多くなれば、不平不満が起き、

いつも心が落ち着かない。

欲が弱く少なくなれば、不平不満は起き難く、

いつも心は落ち着き易い。

不平不満を抑える術はまず「知足」の心を持つ。

「まだ使える」「もったいない」「無駄使いをしない」

と口にする習慣を付ける。

それでも強欲は起き易い。

それらを抑える為にも自分の「心を書く」。

この「心を書く」ことが出来ない人間は、

いつまで経っても自分の強欲から離脱することが出来ず、

人生の辛苦をより背負うことになる。

欲への執着こそが人生辛苦の原点である。

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posted by 純庵 at 05:53| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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