2016年05月11日

仁徳の心 

仁徳の心  

仁徳高き人間は他人の過失や失敗を言わない。

仁徳に欠ける人間は他人の過失や失敗を口にする。

人を観る時、言葉にその人間の心質が観える。

言葉は心にあり、その人間そのものである。

巧言しても、その中身が薄ければ、やがて消える。

心に仁徳ある言葉は聞いて、自分の心へ栄養となる。

話上手やおしゃべりと仁徳は比例しない。

巧言でなくとも、その人間の行動を観ればわかる。

人間、誰しも悪の心質を持ち合わせる。

ただし、その悪言を口にするか否かは、

その人間の仁徳に因る。

他人はいつも観ている、聴いている「あなたの仁徳」を。

口数を減らし余計な一言は避けて、

自分自身の仁徳を高め、人に嫌な思いをさせないこと。

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posted by 純庵 at 04:58| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月10日

人生の花 

人生の花 

植物の花が一年中咲いている草樹は少ない。

ほとんどの草樹は限られた季節の時期しか咲かない。

しかし、花は散ったとしても、その草樹が消滅するわけではない。

人間も人生も同じ事。

成功と云う花が咲くのは短期間のみ。

それ以外は花を咲かせる為に、

多くの試練を残り越えることである。

もし、成功と云う花が散っても落ち込むことはない。

次に成功するまでの過程に入ったのである。

ただ、その過程において「あきらめる人間」

「放置する人間」「面倒臭がる人間」が居る。

それでは次の「成功の花」が咲くことはない。

気張る必要はなく、素直に取り込めば、自ずと花は咲く。

天地自然の万法は気張ることではなく、素直になる法である。

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posted by 純庵 at 05:15| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月09日

心身の苦楽

心身の苦楽  

心の苦楽、身体の苦楽は自分自身しか分からない。

また、他人の苦楽は本人でなければ分からない。

多少の理解は出来ても、全く同じような感覚にはならない。

理解しようと思っても理解出来ない各自の世界。

自分の心は自分自身しか分からない。

自分の心を観ずして、他人に求めてはならない。

自分の心が自分の人生を創り、

先天的病気以外は自分が原因でつくった病気もある。

全てはそうとも限らないが、

自分の心が創っている苦楽を観る必要はある。

他人には分からない自分自身の苦楽。

その苦楽からは多くの学びを得ること出来る。

如何なる人間も、如何なる人生も苦楽は付きもの。

死ぬまで訪れる苦楽は人生の道程でもある。

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posted by 純庵 at 04:24| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月08日

実学 

実学 

学び、そして実践する、それを実学と云う。

実学は学ぶことと実践することの双方でなければならない。

実学を習うだけではまだ不十分。

心学の目的も実学である。

まずは「恕」の心を持ち、

「徳・仁・義・礼・智・信」を高め、

自分が自分自身に疲れない心を創る。

「徳・仁・義・礼・智・信」のそれぞれが欠けると、

人間関係の悪化を生じ、辛苦の人生を味わう。

その為にも心学の実践である「心を書く」を修める。

自分の過去、現在、未来を記憶や発想だけに留めない。

記憶や発想は消えてしまい、思い出すこともままならない。

常に手帳を持ち、自分自身の心を書き、

自分を省みて、次の目標を立て、言動すべきである。

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2016年05月07日

試練 

試練  

何をやっても上手く行かない時がある。

これは運の良し悪しもあるだろうが、

自分に対しての試練と思い、

運の所為にしないことである。

それは進むべき道に間違いがあり、

目的地に辿り着かないのと同じ。

目的地があるならば前以って調べる、

他人にその道順を尋ねるなどの方法があるはず。

自分の感や経験のみで判断せず、

上手く行く方法を企てることが肝要。

それでも世の中はそう簡単に上手く行かない。

それが自分自身への試練ともなる。

先を読んでもその通りには行かない。

言動する前に考え、言動しながら考え、言動し終わっても考える。

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2016年05月06日

山頂 

山頂 

人生は山に登ると同じ。

低い場所では全体を観ることは出来ない。

登れば登るほど下界が観えて来る。

しかし、山頂に近づくほど風も強くなる。

樹木の数や高さまで変化し、

風雨に耐えられるような生態系の植物が多くなる。

山頂に辿り着けば、下界が四方八方に観える。

下界では観られない景色を観ることは出来るが、

そこまでの道程は自分自身との闘いである。

登ることの辛さ、掛かる時間を考えれば、

無理して登る必要はないと自分に言い聞かせる。

ところが、下界に居る人間と山頂に居る人間では、

観る世界が大きく異なる。

高い山頂ほど風当たりも強く、心の訓練にもなる。

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2016年05月05日

心の蓋

心の蓋  

心という器には大小がある。

人によって心の大きい人間、小さい人間。

これは志や環境、人生の経験、修学によって異なる。

しかし、大きかろうが小さかろうが、

心に蓋をしてしまえば、その器の機能を果たすことは出来ない。

良い話も、学ぶべきことも蓋がしてあれば入らない。

この蓋をするのは自分自身の心。

蓋の開け閉めは自分の判断。

悪く汚れたものが入りそうな時は蓋を閉じる。

良く清いものが入りそうな時は蓋を開ける。

自分が得た栄養のあるものは蓋を開け、

多くの人に分け与える。

心の器は自分自身が作り、蓋は自分自身が開閉する。

自分の器を観る力をつけるには日々の修徳が必要。

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2016年05月04日

心を書く

心を書く  

自分自身の心を書く。

これまで多くの体験をし、人生の道を歩いて来た。

その時々の喜怒哀楽があったはず。

しかし、それらは記憶の中に沈み、

大半は思い出すこともままならない。

心に浮かんだ反省や希望は思い出すことない。

自分自身を観る術は、

その時々の心を書くことである。

記憶は消えるが文字は消えない。

過去の自分と会えるのは「文字」。

その中でも「目指すべき自分」「為す自分」の心を書く。

心学を修める実践は「心を書く」こと。

日々、自分の反省と改善、そして目指す仁徳の心、

これらを書ける範囲で継続を行い、未来の自分を創ろう。

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2016年05月03日

清貧 

清貧  

私欲を捨て、世に正しい行いをすること。

清貧に欠けると、贅沢を好み、

利を得る為に人や社会に迷惑を掛ける、

悪事を平気で行う。

清貧の貧とは貧しい生活をすることではなく、

知足の心を持ち、無駄な金銭を使わないことである。

人間関係や社会組織で上に立つ者が、

この清貧の心を失うと社会や会社が乱れ、

下の者がその人物を尊敬しなくなる。

上の者が下の者に尊敬されない組織は、

舵のない船、しかも櫂で漕ぐ人もいない船と同じ。

上に立つ者ほど、言動や金銭の浪費などを慎み、

虚栄を張らず、常に清き人徳を持つこと。

特に公僕たる人間は大いに心掛けるべし。

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2016年05月02日

和  

和とは仁徳を意味し、

人を和み、睦み合うことである。

人間関係で最も貴き心。

日々、他人との関係で「和」を以ってすれば、

争うことなく、嫉妬することなく、恨むことなく、

心は安定した人生を歩むことが出来る。

しかし、それが出来ないのが人間。

それ故に「徳・仁・義・礼・智・信」の修学が必要。

人間だから出来ないとあきらめない、逃げない、

批判しない、理屈を言わない。

自分を安定させる為にも、和を学ぶ心を持つ。

人間として生きる以上、人間関係は大事である。

自分を生かしてくれる多くの人、

自分を活かしてくれる多くの人と「和」の心を以って接する。

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posted by 純庵 at 05:26| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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