2016年09月30日

噂 

噂 

噂は仁の心に欠けた人間が流す。

その流言は同じ仁の心を持たない人によって流れる。

もし、反対の立場で、自分の噂が流されたら、

嫌な気分なることを意識せずに流す。

徳目の基本「恕(じょ)」の心に欠ける。

恕 じょ(己が欲せざるところ 人に施すなかれ)、

自分がされて嫌なことは、人にしてはならない徳行。

しかし、この流言は仁の心を持った人間によって、

流れは止まることになる。

自分の仁を確かめるには、他人の噂を平気で流すか否か、

それを自分で自分の心を観ることである。

流言を止めるか流すのか、自分の仁が観える。

これから流言を受けたらならば、

そこで止める仁の心を持とう。

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posted by 純庵 at 07:51| Comment(1) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月29日

敬う

敬う 

人を敬う心。

特に自分より年長者を敬う心は徳行の一つ。

年配者を大事にする「仁」の心。

年配者から多くの事を学ぶ「敬」の心。

自分より長く生きた人から多くの事を学ぶ。

善であり、悪であり、学ぶ事は多いはず。

年配の人たちは自分より多くの艱難辛苦を乗り越えて来た。

自分が経験出来ない人生の波乱もあるかもしれない。

一人の人生は一冊の小説である。

すべて読むのは大変だが、

会話の中から学ぶことも出来る。

敬の心を以って、人生の先輩から善悪双方を学ぶ。

将来、自分も若者から聞かれることもあるだろう。

自分の経験は自分の物であるが、他人への教科書でもある。

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posted by 純庵 at 05:58| Comment(1) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月28日

言葉

言葉 

言いたい事、話したい事、伝えたい事など、

言葉を通して人間関係が成される。

言葉の使い方を普段考えている人間は、話も理解し易い。

また、他人や身内への忠告なども、

理解し易いように言葉を吟味する。

それは思い付きで話すことを避け、

間を置いてから言葉を選び話す。

話が好きと話し上手とは異なる。

おしゃべりが好きでも、中身が伴っていなければ、

相手の時間を無駄にする。

普段から「心を観る」「心を書く」「心を語る」、

これらを修練すれば、言葉選びも上手になる。

そして、良書を紐解くこと、教養番組を楽しむこと、

人生、同じ時間を過ごすなら心の修徳に励みたい。

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posted by 純庵 at 05:43| Comment(1) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月27日

仁の心 

仁の心 

仁の心に欠けると、

他人の短所欠点を探し、悪口を言いふらす。

同じような仲間が集まると、輪を掛けて悪口が増長する。

言葉や文字で他人の心を傷付け、平気でいる人間。

このような人間にこそ、「仁」の心を学び修めて欲しい。

しかしながら、その性格を持った人間こそ、「仁徳」を嫌う。

悪の快感からはなかなか抜けられない。

でも、周囲の人間は心を観ている。

人は離れ、同じような「悪の快感」を味わう人間のみが、

群れを成し、更なる悪心を深める。

現代社会では「仁」を教える、学ぶ処は少ない。

教育の基本は人間形成であるが、

現代は進学が中心になり、心の教育が疎んじられている。

大いに心学の基本である「仁」を学び、広めて欲しい。

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posted by 純庵 at 06:29| Comment(1) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月26日

仁 

悲しいことに現代教育では「仁」と云う教えは少ない。

それこそ古書によく「仁」の字は登場する。

ましてや「仁」の意味すら知らない教育者も多い。

人を思いやる心、人を慈しむ心、人を愛する心、

自分以外の人を考え、心を以って接する「仁」は、

人間関係では絶対に欠かせない。

「仁」を行うことが「徳」、合わせて「仁徳」と云う。

いつの時代も「仁徳」は必要不可欠な心。

人をいじめることなく、妬むことなく、虐げることなく、

怨むことなく、騙すことなく、僻むことなく、

仁の心を以って人生を歩みたい。

多くの宗教や哲学は、

それらの基本こそ「仁」でなければならない。 

「仁」の心があれば、無意味な争い事も防げる。

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2016年09月25日

出来る

出来る

人間には出来る範囲の事しか生じない。

力量に合った「出来る」事が人生の上に起きる。

しかし、これまでに体験や経験をしていない事なので、

どうしても尻込みをしてしまう。

「出来る」とは「心の力が出て来る」こと。

「出来ない」とは「心の力が出て来ない」こと。

「出る、出ない」は心の力。

心に力を入れるのは自分自身。

「出来ない」と思う心は「心の力を出さない」、

「出来る」と思う心は「心の力を出す」ことである。

心の力が発揮出来るのは、未体験の時であり、

自分自身が持つ「心の力」を信じる時である。

「出来ない」と言う口癖は「出さない癖」が付いている。

何事もまずは「心の力を出してみる」を試みよう。

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2016年09月24日

心を書く 

心を書く 

人間の記憶は実に頼りない。

数日前のことならば、記憶に残っているかもしれない。

しかし、それが数年前に遡ると、記憶も薄れる。

その時に大事と思ったことも記憶に残せば薄れ忘れる。

心学の基本である「心を書く」ことを修めれば、

いつでも過去の自分と会え、

その時に思ったこと、気付いたこと、悩んだことなど、

人生の喜怒哀楽に触れられる。

出来事の日記も良いが、その時の心を書くことは更に良い。

自分自身を変える方法として、

「過去、現在、未来」の自分を、観ることである。

その為にも日々「自分の心を書く」習性を付ける。

慣れるまでは時間を要するが、慣れれば過去の自分と会える。

過去と現在の自分を比べ、未来の自分を創ることも出来る。

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2016年09月23日

嫌な事 

嫌な事 

人生には多くの嫌な事が起きる。

それぞれに隠れた栄養素はあるが、

それを素直に探し学ぶ人間は少ない。

それは個人が悪いのではなく、

幼児期、青年期、成人期の環境で、

学ぶ機会に恵まれることが少なったのであろう。

本来の教育は人間としての完成を目指すこと。

完成には到達しなくとも、

それを目標に日々の言動を考える。

人や社会に迷惑を掛けないことや、

人生の艱難辛苦を心の栄養にする学び。

嫌な事をされても、自分は他人にしない。

その嫌な事から人生の糧を探す力を付けること。

「妙薬、口に苦し」と故事の通りである。

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2016年09月22日

原因 

原因 

幸不幸や失敗成功。 

それぞれに原因と結果がある。

原因は種、結果は果実。

過去の自分が何の種を蒔いたのか、

心を観ることは過去の心を観ること。

その過去を観ずして、未来の自分は観えない。

過去の延長線が未来、

その確認を出来るのが現在である。

今と云う現在を蔑ろにしてはいけない。

その心の植物を育てるのか、摘み取るのかは、

今の時に判断しなければならない。

人生の流れは「過去、現在、未来」によって創られ、

自分と云う人格も形成される。

あなたと云う人間、あなたの人生は、

あなたの心が創っている。

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2016年09月21日

鬱憤

鬱憤(うっぷん)

人生、生きていれば鬱憤も溜まる。

鬱憤を溜めるのが心の器。

心の器でも鬱憤は器の上部に溜まる。

溜まり過ぎると器からこぼれ、

周囲を濡らし迷惑を掛ける。

小さい心の器はこぼれ易く、

大きい心の器は小さい器よりこぼれ難い。

たまには鬱憤をこぼすのも良いが、

周囲に迷惑を掛けないようにしなければならない。

人間、誰しも鬱憤は溜まる。

しかし、心の資質によって鬱憤のこぼし方が異なる。

鬱憤をこぼす前に、「人に迷惑を掛けない仁の心」を持ち、

間を置いてから言動すべきである。

これも恕 じょ(己が欲せざるところ 人に施すなかれ)の心。

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posted by 純庵 at 05:19| Comment(1) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする