2016年10月21日

善行 

善行 

仁の心があれば自ずと善行になる。

仁の心が欠ければ自ずと悪行に走る。

しかし、仁を知る者が少ないのが現実。

別に仁と云う言葉を使わなくとも、

「人が嫌がること」「人に迷惑を掛けること」など、

自分自身から言動しない心を云う。

古代より仁の大事さが伝わって来たが、

仁を教える環境が皆無になっている。

古今に限らず、人間として為すべき仁はある。

その仁の心が自分の善行を成し、

周囲の人々に喜ばれる。

たとえ、気付かれなくとも、善行の種は心に蒔かれ、

やがて芽を出し、花を咲かせ、果実を結ぶ。

果実を結ぶ、これが人生の結果になる。

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posted by 純庵 at 05:17| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月20日

教える 

教える

教えることは学ぶことである。

教える為には、教えるべき事をまずは学ぶ。

自分の経験もあるだろうが、それ以上に学問も大事。

経験と専門知識が合わされば更に良い。

また、教えてすぐ相手が理解するわけでもない。

教えることの難しさを学び、

自分自身の知恵も働き、次なる学問を修める。

学問は自分が得るべき知識、それを通した実践である。

知識だけの学問ではなく、実践学問を要する。

教えることが普段の生活にある。

基本は家庭、社会、職場、友人知人など。

人に教えることで学ぶことを覚え、

知ること、学ぶこと、行うことの大切さを理解する。

その中でも心と言動の「徳・仁・義・礼・智・信」は必修。

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posted by 純庵 at 05:27| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月19日



魚を水から引き離せば死ぬ。

樹木を大地から引き抜けば枯れる。

人間は「徳・仁・義・礼・智・信」から離れれば、

不幸や禍を起こす。

それぞれに適した環境を要する。

魚が水を要するが如く、

人間にも「徳・仁・義・礼・智・信」が、

水と地を要するが如くに不可欠である。

しかし、この「徳・仁・義・礼・智・信」を学ぶ機会がない。

教えることも、教えられることも少なくなった。

人の心が枯れ始めたのは、

この必要不可欠の存在を無視していることにある。

「仁・義・礼・智・信」は徳の基本言動。

それらを学び、人生の中で実践する環境が必要。

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posted by 純庵 at 05:42| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月18日

争う 

争う

恕 じょ(己が欲せざるところ 人に施すなかれ)の心。

時として人と争うことがある。

争いに仁徳はほど遠い。

争いによって良い結果を得ることは稀である。

争いが悪事ではなく、争いに因って人を蔑ろにすることは、

仁の心に欠け、悪の心が積もる。

武器を用いて争うことは人道上の悪事であるが、

人間関係での争いは善の解決法があるはず。

争いの原因、それに伴う精神的負担、余計な言動。

争いと競い合うとは別物。

争うこともあるだろう、競うこともあるだろう。

その結果、自分に有利不利であっても、

相手を批判せず、恨まず、妬まず、

仁徳を以って、生きれば良い。

しかし、それを出来ずにいるのが人間。

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posted by 純庵 at 04:11| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月17日

立場の高低

立場の高低

高い処に居れば人から観られることは多い。

低い処に居れば人から観られことは少ない。

低い処に居る人間は高い処に居る人間を、

僻む、妬む、恨む、蔑むなど不仁の言動に及ぶ。

人間に高低はない、人間ならば皆同じ位置に居る。

しかし、心の中に高低を創り、

高い処に居る人間は低い処の人間を見下し、

低い処に居る人間は高い処の人間を蔑む。

心の中に生まれる高低を、仁の心を以って、

平らかにし、常に和の言動を心掛ける。

仁の心は和の言動を生み、

人を思う心に高低などなくなる。

人は人、自分は自分、人も自分もすべて同じ。

最高徳目である「仁」を大いに学ぼう。

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2016年10月16日

現実 

現実 

今、自分に起きている善事悪事は突然降って来たわけではない。

過去の人生に善事の種、悪事の種を蒔いたはず。

時間を経て実った事象や、瞬時に起きた事象もある。

すぐに実った事象は枯れ易く、

長い時間を経た事象は枯れ難い。

まさに草木と同じ経緯である。

時の流れに善悪はなく、心の中にある善悪の種に因る。

善事の花や実は過去に蒔いた善の種、

悪事の花や実は過去に蒔いた悪の種。

人の所為ではなく自分自身の心にある。

常に「徳・仁・義・礼・智・信」を心して、

まずは人に迷惑を掛けない、人の嫌がることをしない、

善事の種を蒔くようにすれば良い。

それでも心に悪が芽生えるので、まずは心を観ること。

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2016年10月15日

惜しむ 

惜しむ 

惜(お)しむ、過ぎた事を惜しむなどに使う。

この惜しむの「惜」とは「心に昔」を組み合わせた字。

過ぎた昔の事柄が心に残っている状態。

変えように変えられない過去。

しかし、過去を変えられずとも、未来を創ることは出来る。

過去を惜しんだら、未来に希望を持つ。

その為にも過去の自分自身を観る力が必要。

しかも、過去の自分をごまかすことなく、

正直な相(すがた)の自分自身を観る。

それが次に植える「心の種」になる。

過去の自分が未来の自分になるか否かは、

自分自身の心一つ。

常に自分の心を観て、心を書いて、心を語り、

仁の心を以って、徳を修めたいものである。

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2016年10月14日

欠点 

欠点 

人の欠点を探す人間は、自分の欠点を隠す。

人に隠すのではなく、自分自身の心を欺く。

他人の欠点を拡大し、自分に欠点を縮小し、

自分自身を正当化する。

そのことは間違いであると自分自身を騙し、

仁の心を失い、人を攻め始める。

欠点は誰しもある。

しかし、その欠点を周囲に吹聴することは仁に欠ける。

もし、反対に自分のことが他で吹聴されていたら、

気分を害するであろう。

仁の基本「恕(じょ)」の心を持ち、

自分がされて嫌なことは人にしてはいけない。

人に嫌なことをすれば、その種は自分の心に蒔くことになり、

やがて、自分にとって「嫌なこと」の種が芽を出し始める。

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posted by 純庵 at 06:02| Comment(1) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月13日

聖 

聖人の聖は「耳、口、王」から成り立っている。

人の上に立つ者はまず「耳」を澄ます。

口から出る言葉に仁を持つ。

聖なる心はすべての人間が目指せる道。

聖人や偉人は歴史が認めること。

日々、自分自身の「聖」を思う。

人の言葉を心して聴いているのか、

その中に含まれる「心の糧」を十分に摂る力を修め、

話す言葉に「心の糧」となる仁が含まれているのか。

自分なりの「聖」を目指し、人に助けられ、

人を助けられる仁の道を歩みたい。

偉大な事をせずとも良い。

自分が為すべきことを成せば良い。

常に仁徳の字である「聖」を意識しようではないか。

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posted by 純庵 at 05:57| Comment(1) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月12日

間と云う仁 

間と云う仁 

仁の心が欠け始めると、余計な事を言い始める。

人間、誰しも心に余計な事を浮かべる。

質量が軽い為に、心でも上部に浮き易く、

口からこぼれ、周囲に撒き易い。

口からこぼれる前に、一旦「間」を置き、

仁の質量を観る。

相手を傷付ける内容ならば引き下げ、心から消す。

必要な事であれば、内容を理解し易いように組み立てる。

他人に嫌な思いをさせる人間ほど、

間を置かずに話をする。

仁は相手を思いやる心。

その仁が欠けていれば、常に逆の立場を考える。

そのことを習得出来れば、仁の質量は向上する。

誰しも嫌な思いはしたくない、自分も然り。

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posted by 純庵 at 05:36| Comment(1) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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