2016年12月31日

思う

思う 

自分自身の過去。

喜怒哀楽の過去など振り返れば、

心の栄養になったはず。

悔しい思い、辛い思い、悲しい思い、楽しかった思いなど。

それぞれ「心」の「田」に植えられ、「思」になり、

今の自分自身を創って来た。

思いは作物の栽培。

これからも数多くの思いを「心の田」に植えるはず。

悲しい苗、うれしい苗、悔しい苗、楽しい苗、

それぞれの苗は自分が植える。

思うことは「植物の生態系」に似ている。

人生と云う「心の植物」を育てるのは自分自身。

それらの作物は自分が食することになる。

自分が植えた作物の味、美味しいか、

不味いかは自分自身の心一つ。

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posted by 純庵 at 04:29| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月30日

自然

自然 

自然界から学ぶことは多い。

古典の聖賢から学ぶも良い。

しかし、時代や環境、それぞれの思想もある。

自然界はまさに真理そのもの。

絶対的な存在でもあるが、永久不変とは限らない。

宇宙も動植物も進化を続けている。

自分以外に学ぶことは多い。

たとえ、人間関係が苦手でも、書物を読まなくとも、

自然の相(すがた)から学ぶことは出来る。

学費も要らず、どこでも学べる。

ただ、学ぶ心があるか否かです。

学ぶ心があれば、どこでも学問は出来る。

学問は実践してこそ、心の進化は有り得る。

天地自然の万法は人生の師。

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posted by 純庵 at 04:59| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月29日

素直 

素直 

素直になれない人間ほど、

自分中心に言動し、他人に迷惑を掛け易い。

他人の言動を邪魔したり、誹謗中傷したりする。

一見腹の立つ言動ではあるが、

その人間も自分を表現するのに精一杯なのである。

心の不足分を補う為、自分が中心に動き、周囲が観えない。

たとえ、そのような状況になっても、

「仁」を以って対処するのが最善。

「仁」は相手を思いやる心、憎い、腹立つと思えども、

相手が「心の不徳」と思えば良い。

「仁」の心は自分の心を大きく成長させ、

心が揺らぐことを防いでくれる。

不徳とは「十学ぶことを、まだ五しか学んでいないこと」。

誰しも間違いや不徳もある、大きな仁の言動を心掛けよう。

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2016年12月28日

それぞれ

それぞれ 

菊は菊、椿は椿、桜は桜、杉は杉、松は松。

この自然界の相(すがた)は誰でも理解出来る。

しかし、人間界では他人同士を比較し、批判や中傷する。

人間も動植物と同じでそれぞれに異なり、

それぞれの人格や個性がある。

人は人を自分の思いで判断し易い。

心で思うことは誰しもあるはず、

それを言葉で表すか否かは、

その人物の仁徳に因る。

自分が勝手に人から判断され、

好評ならまだ気分も良いが

悪評を言いふらされたら嫌な気持ちになるだろう。

多少思うは自由だが、言動はその人の人徳が観える。

余計な言動を慎むことが良い人間関係を創る。

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posted by 純庵 at 04:41| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月27日

実学 

実学 

実学と云う学問はない。

実学とは学問を実践することである。

自分の心に正しく言動するならば「忠実」。

目標へ忠実に動き導くのが「実現」。

その現象が顕になる「現実」。

実とは自分の言動が「実になること」であり、

心が人生を創ることでもある。

学問は自分自身を修養修徳する学び。

学力や学識、学歴とは違い、

社会に出てから現実社会で感じ、

学問に目覚めることが多い。

若い頃は学問の下地である「人間学」を修め、

実社会に出て、それがより具体的に理解出来る。

心の種、それが社会や人生と云う大地で成長し、実を結ぶ。

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2016年12月26日

言動 

言動 

社会や人の為に良いことをしようと思っても、

果たしてそれが良いとは限らない場合がある。

特に対人関係で「その人の為」と思い、

善事を行ったとしても、

その人にとっては「お節介」

「余計なこと」になる時もある。

確かに善事の言動は素晴らしい。

ただ余程、社会や対人関係、

相手を観なければ出来ないかもしれない。

それより、まずは社会や人の為に、

嫌なこと、迷惑を掛けないことを

心掛ける方が良い。

これは仁徳の言動「恕(じょ)」の心である。

恕 じょ(己が欲せざるところを人に施すなかれ)。

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2016年12月25日

過去に感謝

過去に感謝 

自分自身の過去、それは自分の心が創って来たこと。

取り戻すことの出来ない過去、

直しようもない過去。

自分に嫌な過去もあるだろうが、

それも自分自身が創り出した過去。

過去を憎み、悔やむより、

自分の心を成長させた過去に感謝をした方が、

過去は栄養を持ち、心を成長させる。

過去を蔑ろにする人間は、

過去と云う人生の大地からの収穫を得ることが出来ない。

過去に感謝をし、過去を自分の糧として、

未来の自分創りに役立てる。

辛く悲しい事もあるだろうが、

今、こうして生きているではないか。

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2016年12月24日

嫌味 

嫌味

嫌味な事を平気で言う人間は、

心の味そのものが「嫌な味」を持つ。

普段から他人が嫌がる味付けをして、

十分に貯え、いつでも言うことが出来る。

心身共に「嫌味」な味付けである為、

人は近寄ることを避ける。

心に潜む劣等感が嫌味を調合し、他人に振りまく。

嫌味な性格は直し難いと云う。

この味付けは浅漬けではなく古漬けが多いからである。

嫌味な人間とは多少の距離を置き、

自分に振りかけられないようにすべき。

それでも人間関係上無理な場合は、

相手の性格を哀れみ慈しむ大きな心を以って対応する。

これも人生の修養修徳である。

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2016年12月23日

節約 

節約 

倹約、節約は吝(けち)ではない。

物事を切り詰めて貯えて緊急時に備えることである。

十で出来ることを八で済まし、二を貯えること。

この二が将来大いに役立つ。

節約の節は竹の節、節の間隔で短く、中身は空。

その中に貯えて保存する。

樹木の幹では貯めることは出来ない。

定期的に貯え、必要な時に使う。

それは倹約であり、節約である。

経営でも家計でもこの「倹約」「節約」の心を忘れてはいけない。

いつ緊急時や災難が来るか分からない。

備えあれば憂いなしとはこれを云う。

何事も十を七や八で始末する修養を心掛け、

心の余裕を持ちたいものである。

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2016年12月22日

譲る 

譲る 

人に物事を譲る。

譲る気持ちはあれども、なかなか譲れないものである。

譲る心を持つには、恕(じょ)の心が必要。

恕 「己が欲せざるところを人に施すなかれ」、

自分がされて嫌なことは人にしてはならない。

その反対が「自分がされて良かったことを人にする」

恕や譲は円の動きであり、自分自身に廻り回って来る。

自分が言動しないことは、自分に廻って来ない。

この円の法則は善悪に関係ない。

善の言動には善が、悪の言動には悪が廻って来る。

天地自然の万法「宇宙」の動きは大半が円の動き。

人間の言動も時間の長短はあれども、

円の法則に従っている。

譲ることは気持ちの良いこと、大いに譲ろう。

譲る後悔よりも、譲らない後悔の方が強い。

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posted by 純庵 at 05:49| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする