2017年05月31日

草花

心学「草花」

誰が指示するわけでもなく草花は同時に育つ。

地域によっては開花の時期は違えども、

その場においてはほぼ同じ時期に開花する。

開花をしては実を結び、やがて散る。

天地自然の万法とはまさに「和同」である。

喧嘩することもなく、仲間を潰すこともなく、

互いに活かし合いながら生きている。

草花や樹木に脳はない。

しかし、天地自然の万法に逆らうことなく、

素直に育ち、次の世代を育てている。

植物の相はまさに人生の師であり、

仁徳の教えである。

大いに学びたい「協和」と「和同」「大同」の心。

草花や樹木を見詰め、自分自身の人生を省みよう。

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posted by 純庵 at 06:25| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月30日

如何なる花と実

「如何なる花と実」

自分が蒔いた種は実を結ぶ。

真の種を蒔けば真実を結ぶ。

嘘の種を蒔けば虚実を結ぶ。

他人に差し上げる実はどちらか。

いただく人間が虚実を受け取れば不信、

いただく人間が真実を受け取れば信用する。

過去に蒔いた種が実現して現実となる。

仁は仁の実を、不仁は不仁の実を結ぶ。

すべて自分自身の心が創ること。

心を修めることは仁の種と仁の実を得ること。

仁は人を慈しむ心、思いやりの心、

人間関係で最も重要な心である。

心を修め、多くの人々に仁心を以って接したい。

あなた自身もいただく他人からの「仁の実」。


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posted by 純庵 at 05:28| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月29日

自分の都合 

心学「自分の都合」

人間は自分の都合で人を観る。

自分に不利や悪い印象の人間を嫌い、

自分に有利や好印象の人間を好む。

当然のことではあるが、

他人の都合から観た自分自身も同じ。

自分では悪いと思わなくとも、

他人の都合では悪人になっていることもある。

自分が思うことは反転して自分に返って来る。

これは天地自然の万法に従い、

心に蒔いた善悪の種は自分自身が摘み取ることになり、

それを手にして食しなければならないからである。

人間、誰しも自分自身の都合で判断し易い。

でも、それが心の中で育ち、自分自身が摘み取るので、

出来るだけ「悪」を思わないことである。

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2017年05月28日

努力 

心学「努力」

思うことは心の努力である。

動くことも動かないことも努力。

それは心が自分に命じる力。

心で思い、身体に命じる努力。

尽くすことも、怠けることも、

発言も黙することも努力。

一生懸命するのみが努力ではない。

何もしないことを続けることも努力。

身体に命ずる心一つで、人格や人生が変わる。

ただ、何もしない努力の中に、

他人に対して余計は言動をしない努力は時によっては必要。

自分自身の余計な言動は「しない努力」に入る。

する、しない、必要、不要、を常に考え、

如何なる努力をすべきかを修徳しよう。

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2017年05月27日

山海

心学「山海」

山は自らの高さを知らない。

海は自らの深さを知らない。

人は自らの徳性を知らない。

ただ、人間のみが自分で自分の徳性に気づくことが出来る。

山は自分の山頂を積み上げることは出来ないが、

大地の変動によって高低の変化はある。

海も同じで、海底の変動によって深浅の変化はある。

人間は天命によって命をいただき、

自らの運命によって人生を創る。

自分の心が創った「自分自身」。

人間も天地自然の万法に従い生きている。

生まれ死ぬことは天命であるが、

成功失敗や幸不幸は運命であり、

自分自身が選び運んでいる。

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2017年05月26日

粘土

心学「粘土」

陶芸に使う粘土や陶土は良く練った方が良いと云う。

土に含まれる空気を出す為である。

「練る」、「揉む」の作業があってこそ、

作陶の仕事が出来る。

空気が含まれていると「ひび」や「割れ」が生じ易い。

人間の心も同じこと。

自分自身の心を試され練られた人間ほど強く成っている。

この試練が自分を創ってくれるのに、

その試練から逃げ、ごまかしていては、成長につながらない。

辛いのは自分だけではない、皆同じように経験をする。

違うのは逃げずに、ひたすらそれに耐え、壁を乗り越え、

心成長した自分を創るか否かである。

乗り越えた人間と乗り越えられなかった人間の違いは、

その試練に対しての責任転換と愚痴の数である。

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2017年05月25日

心学「分」

自分が持つ力を「分」と云う。

自分自身の力に合った状態を「分相応」、

自分自身の力に合わない状態を「分不相応」。

自分に体形に合った寸法の服を着れば、

動きやすいが、小さ過ぎては着られない、

大き過ぎては動き難い。

自分の寸法は自分のみが最も知っているはずだが、

意外や自分の勘違いや驕りが多い。

人生、生きていれば成功失敗は多々ある。

その時々に自分自身の「分」を弁えておく。

それが仁徳の修養となり、

疲れない人生を創ってくれる。

仁徳の修養である「学問」は、決して厳しい修行ではない。

自分自身を知り、自分に合った質量の生活をすることである。
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2017年05月24日

心学「器」

人それぞれ心の器を持つ。

老若男女、その時々の器がある。

天性で器の大きい人間、小さい人間、

教育によって大きくなった人間、

自らの学問修徳によって大きくした人間。

学問や修徳を嫌い、小さくなった人間。

大きい器を持ったからと云って、

中に清水が少なければ、人に与える量も少ない。

小さい器だが、清水が多い人間は

人に与える量も多い。

器と中にある水の質量で人間性に差が出る。

水の水質も大事、清水は良いが汚水は誰も飲まない。

心が作っている器と水の質量。

日々、自分自身が作っていることを心すること。

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2017年05月23日

慎独

心学「慎独」(しんどく)

独りの時こそ、自分自身が慎む時である。

誰もいない為に、我欲を抑えるのは自分の心。

他人の眼は自分を抑える力を持つが、

他人の眼がない時は自由気ままに出来る。

しかし、この独りの時は本当に独りではない。

もう一人の自分が心の中に居る。

他人は居ない、ただ自分自身が居る。

そのもう一人が如何なる意見を言うのか、

それによって自分と云う人格が創られる。

他人の前では品行方正であっても、

自分独りになった時に「我がまま」であっては、

せっかくの修養も消えてしまう。

常に「慎独」の心を忘れずに、

自分自身との対話を気をつけよう。

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posted by 純庵 at 04:20| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月22日

心学「慢」

傲慢、高慢、自慢、怠慢などの「慢」。

この「慢」は「あなどる、かろんずる」の意味。

心の病で気を付けなければならない「慢」。

人間関係で諍いが起きるのが「慢」。

常に自分の心に「慢」が起きないように、

学問に修め、少しでも仁徳を高めたい。

この「慢」は心の中で育ち、大きくなった時点で、

言動となって外部に現れ、

他人に嫌な思いをさせる。

自分では自信と思ったことが、

他人の耳からすれば自慢や傲慢に聞こえることがある。

出来るだけ自分の事を控えることも大事。

本来、良い言動や自信のあることは芳しい香りとなって、

自ずと他人に伝わり、和ませるものである。
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posted by 純庵 at 04:27| Comment(0) | 道徳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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